世の中には頭がよくなりたい人が多いように思えます。頭の回転の速さやキレ、高度な理解力、正確な計算力やテストなどで測れるような学力。
これら以外にも頭の良さという漠然としたものを図る物差しは無数にあるような気がしています。その中でも色々な知的活動に関係していそうな集中力について少し勉強してみて思ったことがあります。
「過集中」という言葉は基本的にはネガティブな意味でとらえられているようです。この状態になると社会生活に支障をきたすそうです。
ぼく自身も過集中という言葉をいくらかポジティブに捉えていました。もしかするといい意味で理解している人も結構な数いるんじゃないかと思います。
過集中にいいイメージがある理由
なんでなのか考えているとギフテッドという言葉にたどり着きました。よく映画やドキュメンタリー番組などで聞いていた言葉なんですが特に意識したことはなく「生まれつき頭がよかったり才能を持っている人たちなんだな~」くらいに思っていました。
あながち間違いではなく調べてみると物事に対する好奇心とか早く、深く理解する高度な知能と共感力、倫理観、正義感、博愛精神のいずれかがワンセットになっている人間を指すそうです。もちろん周りと比べて突出している必要があります。
要するにやたら頭がよくて尚且つ素晴らしい精神心を兼ね備えた物凄い出来るやつみたいな感じだと思います。響きがやばいですね。
ちなみにギフテッドには言葉通り神や天みたいなものから与えられた資質という意味があるみたいです。いまや映画やネットフリックスなどのプログラムでも取り上げられるくらいなので何となく知っている人も多いと思います。
このギフテッドこそが僕が「過集中」にいい印象を持っている原因じゃないかと考えました。ギフテッドの中にこの過集中の症状を持つ人たちが少なからずいます。またこの症状は発達障害のADHDや自閉症の人たちにも頻繁にみられる症状なのです。
ギフテッドは天才?
余談ですがギフテッドと天才は言葉の定義上では違うようです。似てはいるけど天才には奇妙とか変など普通では説明できないようなニュアンスを含むのに対してギフテッドは客観的な知見とかデータをもとにして測定する教育学や心理学の用語みたいです。
とは言っても一般的には天才=ギフテッドのような感じで使われているので間違えてはいないと思います。
一般的なイメージの頭いい人ではない
ギフテッドを理解するのに大事だと思ったのが英才教育などで幼少期から訓練されて優秀になった人たちと区別されるという事です。小さいころから計画的に教育を受けて、いい大学に入り一流企業に入る絵にかいたような超優秀エリートにはないものをギフテッドは持っているそうです。
それはポテンシャルだそうです。生まれたときからさっき言ったような深い理解力や好奇心がハンパじゃないそうです。要するに生まれ持っているかどうかに大きな違いがあるようです。
この二者の違いは調べると結構あるんですが僕が個人的に興味を持っているのが考え方の違いに大きな差があるみたいです。英才教育スーパーエリートが教えられたことに沿って合理的に物事を考え解決までの答えを出すのに対してギフテッドはまったく他とは似つかない独創的なアイデアや解決方法で答えを見つけ出すそうです。
一概にどっちがいいとは言えませんが何となく英才教育エリートの方が社会的に賞賛されやすくてギフテッドの方は中々考えがユニークであるが故に受け入れられなく苦しんでいる人もいるんではないかと思います。
人とは違った教育を受ける
ギフテッドの中には一般の学校制度や生徒じたいと馴染めないというような問題を抱えているひとたちが多いそうです。運よく幼少期にギフテッドだと診断された子たちはホームスクーリングをしたり専門学校のような所に入学し自分と似た境遇や知能レベルの子たちと過ごすことが出来ます。

ギフテッドの苦悩
運よく早期に診断されて適切に診断された子たちは幸いですが、そのまま普通学級に通い続けるギフテッド達はみなではないけどつらい思いをしている人達が多いようです。
そもそもこの診断というのが厄介で高度な専門知識を要するようです。ギフテッドの中には高IQの人間が多いらしくIQ130以上を一つの指標にしているようです。もちろんIQが130以下の人にもギフテッドはいるので知能指数だけでは正確に診断は下せません。
惜しくもちゃんと診断を受けれなかった子たちは同世代の子たちと精神的、知能的に大きな差があるのでコミュニケーションに困ったりする事があるそうです。もし職場の同僚の精神年齢が小1~小3程度だったら結構きついと思います。
さらによくあるのが頭が良すぎて高校までの授業範囲を小学生のうちに終わらしてしまうので授業がつまらなく苦痛に感じてしまうとび級制度があればいいんですが無ければ地獄だと思います。
ギフテッドは英才型(知能レベルが高くコミュニケーションもしっかり取れる)と2E(高度な知能を持ちながら何かしらの障がいを抱えてる)というタイプに分けられます。2Eの子たちは、しばしば特別支援学級に入れられる事があるようです。
こういう事が多発する理由に診断が本当に難しいという事とギフテッドの中に発達障害のような症状を持っている人たちが多い事が考えられます。例えば過集中、突発的言動、早口、ADHDなどがあげれます。適切なクラスあるいは学校に進学できないと生まれ持った才能が開花しないことが多いようです。
ぼくが悲しいなと感じたのはギフテッドのなかで無意識的に意識的両方で目立つことを避けて怠け者や優秀でない人のふりをしたり天然な性格を演じることがあるという事です。自分の能力を隠すだけじゃなくて性格さえも偽ってしますのは何とも言えない感情になります。それは、全て周りに溶け込むために行われるのです。特に女性はもともと周りとの協調性が高くて、その傾向が強く出るそうです。
周囲の人間に合わせて自分の力を発揮しなかったり、性格を変える事は決してギフテッドに限られたことでは無いですね。しかし、ギフテッドの場合その自分を偽る幅が大きくなってつらいのかもしれません。
女性のギフテッドに苦しんでいる人が多いという事なのでしょうか。ちなみに、感覚的に日本はアメリカやヨーロッパの先進国に比べて、こういった類の教育環境が整っていないように感じています。
個人的に思う事
多くの人は頭が良い人に憧れる傾向があると思っています。誰だって出来れば賢く生まれたいですし,可能なら頭が良くなりたいですよね。
この先ギフテッドのような天才と呼ばれるような存在が世界的にもっとクローズアップされると考えてます。(イメージではGAFAMのCEOのような人たちが)
しかし、考えてみるとギフテッドには後天的になれません。仮に奇跡が起きてなったとしても周りと話は合わない、理解されない、逆に変人扱いされる場合もあるかもしれません。結果的に自分の能力や人格まで偽るようなことが起こっています。
もし自分の子供がギフテッドだった場合または、そのような子供に出会う機会があり自分が気づいた場合、そのギフテッド為に何が出来るかを考える事はそうじゃない人にも出来るのではないかと思いました。
むしろ、そうでない人たちが多数派なので考える必要があると考えています。その方が社会にとって、より多くの利益を生むことが予想されます。ネガティブな話が多かったですが、もちろん自分の能力を伸ばし良い理解者に囲まれて幸せに暮らしているギフテッドも多いはずです。
個人的に僕は頭は人より良くなる必要はないと思っています。普通である事は大多数だということなので一番幸せなのかもしれませんし、極端に優秀すぎたり、劣っていることの方が全然つらいのかもしれません。それは社会は大多数の人間に合わせてデザインされていてそうじゃない人達には合わせられていないからだと思います。僕たちがネットやテレビなどでみる優秀なギフテッド達はほんの一握りかもしれません。
生ぬるい事をいうと今より少し社会が色んな層の人にとって優しくなればいいな~と思います。最後に何度考えても「頭よくなりたいな~」と考えて”頭がよくなりそうな本”をAmazonでポチって届いたのに読まずにダラダラYouTubeみてポテトチップスをバリバリむさぼってるような事が幸せなんじゃないかな~と訳の分かんない事をボヤキながら終わります。




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